赦しと解放



大変残念なことに、私は定期的にポカをする。 そのポカは、大抵「抜け落ちる」系か、「思い込む」系のポカで、 手荷物をひとつ、どこかに置いてくる。 新幹線の向きを、間違えて乗る。 一時間、約束の時間を勘違いする。 今日の日にちを一日勘違いし、同時に今日の予定もすべて間違える。 西に向かう日に、東へ向かう。 落とした荷物を駅長室へ受け取りにいって、代わりに別の荷物をそこに忘れてくる。 と、羅列してみても、恐ろしいことこの上ない。 ゆえに、こういうことに関して、私は私をまったく信じていない。 そのため月に一度ほど、手帳を片手に自分の仕事を確認しなおすことにしているのだが、先日、ある週の「対話+解放」セッションを受けてくださった方々に、解放した内容をまとめたレポートを送ったつもりになっていたが、実は一週間分ごっそり未送信だった、というポカを見つけた。青ざめるとは、このことである。 ちなみに私が一番堪(こた)えるのが、こんな風に、自分の個性で誰かを傷つけたり迷惑をかけるときだ。内側がきゅっとなり、圧力がかかる。自分で自分を反射的に責めるのだろう。 慌てて、お詫びを添えて対象の皆さんへ解放のレポートを急いでお送りしたのだが、皆さんは私を責めたりするどころか、むしろあたたかく好意的に受け止めてくださる。私はさらに小さくなりながらも、通常のやりとり以上に、皆さんそれぞれのお人柄が染み入るような大切な機会となり、感謝ばかりの時間だった。 その一連のやり取りから、あぁ、皆さんのお気持ちによって、私は赦してもらったのだな、と感じると同時に、私が私のまま、解放されたままだったことに気がついた。もし仮に、どなたかに責められていたら(もちろんそれがあったとしても構わなかったのだが)、きっと私は、自分を責めたとき以上に、自分を責めて圧(あつ)をかけたことだろう。

どうも私は集中してしまうタイプなのかどうか、小さいころから一つのことに意識が向くと、それ以外のすべての音や存在が消えてしまう。そして、うっかりそのまま過ごしすぎると、今がいつで、自分がどこの誰なのか、どういう人生を生きているのかも、記憶からきれいに消え失せる。そうなると元に戻るのにすこし時間が必要になり、戻ってきた後に、なぜここにいるのかわからないまま、目の前のものから現状を推察したり、記憶が帰ってくるのを待ってみたりする。


加えて、時々「呼ばれる」ことがあり、そうなると無条件に意識がそちらへ一気に持っていかれるので、意識が移動する瞬間に自覚的でいられないことも多い。 このことを思うと、ある意味、この残念なポカもまたとても私らしい側面でもあるのだろう。 それが、誰かや自分にとって困るようなことを引き起こしたりして私を半泣きの気分にしたときに、「ポカ」と呼んでみたりするのだろうが、エネルギーそのものから見れば、何もその時だけ特別な動きをしたわけではない。いつも通り、私という表現だったにすぎない。

これもまた、自分、なのだ。

そして今回は、この「ポカ」、つまり、ご迷惑をかけてしまった私の側面を、皆さんは、それも私だとあたたかく受け入れてくださった、つまり、赦してくださったということなのだろう。・・・ありがたいことに。

赦すことがすばらしい、という話をしているのではない。そして、赦しは何もかもを好意的に受け入れることだ、という話をしているのでもないし、赦さなくてはいけない、という話をしているのでもない。(もちろん、開き直る話でもない) 赦しとは、それが存在することを知り、圧をかけず、ただそのままにしておいてあげることだ。そうすると、すべてはそのままに置かれる。そんな風にただ赦されていると、本来の自分のまま、魂のままそこに存在することができる。すると、本来のエネルギーがそこにあることに私達は気づく。




自由で、軽やかで、心地よく、どこまでも広がり、満ちている感じ。


今回は何の因果か、たまたま解放セッションのレポートについてのポカだったわけなのだが、私が思うに、解放もまた、赦しのことだ。圧がかかっていた部分に、ただ気づき、理解し、それが存在するままにしておく。つまり、自分で自分を赦すわけだ。そうすると圧が抜けるのだが、その状態を「解放」と呼ぶ。赦しとは不思議なもので、あとは何もしなくても、変化が起きるなら自然にそれは起きてくる。本来のエネルギーがラクに上がってくるからだろう。

私もまた、今回のことを含め、こうして関わってくださる皆さんや、家族、友人知人達が、こうして赦してくれたりフォローしてくれたりするからこそ、今日をのびのび生きられている。 そこに胡坐をかくことは決してないけれど、私を赦してくれる存在に出会えていること、また共に過ごすことができる恩恵がここにあることに、深く深く感謝がある。 去年、放映されていた昔の映画のセリフで、こんな言葉があった。

Forgiveness liberates the soul.  (赦しが魂を自由にする)

私もやらかすと優しく言われる。 「大丈夫だよ、あなただからね」、と。 周囲や、出会う皆さんがしてくれるように、私も、私自身や出会う皆さんにそうしたい。

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