top of page

誰が<保証>するのか


私は、皆さんのお話を聴かせていただいたり、話をしたりすることを生業にさせてもらっている。

もう少し言うと、聴かせていただくことで<わかる>ことをシェアさせて頂いている、と言った方が近い。


<わかる>とは、それそのものの<本質、本来の姿がわかる>という意味だ。


私たちは、自分や物事の「本質」に触れると、どう生きたらいいのかが自分で自然に気付けるようになる。自分の本質に自分で触れてもらえることで、ほんの少しでも今がラクになったり、生きやすくなってもらえるように、言葉と言葉以外で、一時間、お手伝いさせてもらっている。


実際に何をしているかといえば、丸いものを「丸いです」と、ただ、そのままを言葉にして説明させて頂いているだけなんだと思う。そして当然のことだが、ご信頼を頂く立場上、それを少しでも加工して表現することは、過去にも未来にも許されない。そもそも、ないものをあると言ったり、小さいものを大きいと言っていたら、詐欺になってしまうではないか。勝手ながら、大切に想っている皆さんに対して、そんなことをする気持ちはおきないし、特にその必要性も感じない。

なぜ<わかる>のかはさておき、このことをどうご説明するかはいつも悩むところだ。悩んだところで事実を話す以外に方法はないので、結局、「わかるのですよ」とそんな風に説明させて頂くしかないものの、どこまでいっても自称にすぎない。わかりやすい形で<保証>でもできればいいのだろうが、五感で捉えられないものを証明することは、この世ではなかなか難しいものだということは、百も承知である。それなのに、私を訪ねてくださる大多数の方達は、ご信頼を寄せてくださり本当にありがたいことだ。だが人によっては、怪しいことこの上なく、<保証>がないものにご不安になる方も、きっと世の中にはたくさんいることも知っている。それもいいと思う。


ちなみに、<保証>という言葉をデジタル大辞泉で調べると、


(1) 間違いがない、大丈夫であると認め、責任をもつこと。 (2)債務者が債務を履行しない場合に、代わって債権者に債務を履行する義務を負うこと。

とある。


(2)は、ここまでの話の流れから少しかけ離れているのでさておき、この(1)の、


間違いがない、大丈夫であると認め、責任をもつこと。

を、誰かや何かに、委(ゆだ)ね過ぎてしまってはいないだろうか。




特に、自分の人生の選択の場面において。






親からの意見、友人のアドバイス、社会的基準、価値観、文化的環境。


もしかしたら、最も尊敬している人からの声かもしれないし、ものすごい力のある霊能者からの言葉かもしれない。


真実をついている言葉もあるだろうし、愛のあふれる言葉もあるだろう。


私たちは誰でも、周囲の環境からの大多数の声や、心から信頼をしている人や圧倒的存在からの言葉など、<保証>されているものだと信じれば信じるほど、それが世界の真実のように感じて、つい鵜呑みにしやすいものだ。


外からの声を信じてはいけない、という話をしているのではない。でも、どんなにすばらしい意見でも、どんなに参考になれども、あなたにとっては、あくまで一つの意見、見解にすぎないことを忘れてはならない。なぜなら、あなたの最高最善の答えは、いつも内側、ハート(魂)にあるからだ。



もし、あなたが本当の自分を生きたいと願っているならば、唯一の方法は、


今、自分がそれをハートでどう感じているか直接感じ、いつでもその感覚を一番大切にして生きていくことだと、そう思う。



誰かに保証してもらって、それに従って生きるのではない。

自分の感覚を、自分で保証して、それそのものを生きるのだ。

あなたのハートがそうだと言っているならば、それでいい。

あなたのハートがちがうと言っているならば、それでいい。


そんな風に、自分の感じたことをもっとも大切にして日々を生きること以外に、自分らしく生きる方法はあるのだろうか。そんな風にさえ思う。


あなたが今、それが真実かどうか、正しいかどうか、と何かにこだわっているとするならば、

それはもしかしたら、自分を信じることを恐れているだけではないだろうか。

外側の何かに、選択や決断を丸ごと委ねようとするとき、人はそれが真実かどうか、正解かどうかにこだわる。でも実は、それが真実かどうかとか正しいかどうかは、そこまで重要ではない。誰かにだまされたり、何かから傷つくことを恐れるほど、実は、自分の感覚を信じることを恐れている。

自分の感覚を信じることは、時にとても難しい。自分の感覚を信じることと、傷つかないことはイコールではない。自分で感じたことを大切にした結果、傷つくことももちろん、ある。でも、そうして傷つきながらも自分の感覚を大切にしていくことで、感覚を見極める目が磨かれていき、自分とより深くつながっていく。自分の芯が太くなっていき、安定していく。不思議と、何が起きても大丈夫な感覚さえやってくる。


だから、 外からのどんな声も丸呑みにせず、自分のハートで確かめてほしい。

そして、自分で感じた感覚、その事実を何よりも一番に大切にして行動もらえたらと思う。



<自分を生きる>とは、そういうことだ。



そのとき、あなたから表現されている言葉や行動などの全てが、あらゆる時間の全てが、あなたそのものになる。


自分を疑い、恐れて、自分を見捨てていては、自分を生きることはできない。

揺れてもいいし、怖くてもいい。それでも、勇気をもって自分の感覚にイエスを出し続けていくことが出来たなら、私達は、本当の意味で自分を自分で満たす力が育ち、幸せを生きるのだろう。

どうか、その<保証>を、誰かやなにかに明け渡さないであげてほしい。




私のこの言葉も丸呑みせず、そのハートで聴いてもらいたい。

気に入ったら持ち帰り、気に入らないと感じたときは置いていってもらえたらと何よりだと思う。




あなたを心から大切に想う、どこかの誰かのささやかな独り言程度に思ってもらえたら、嬉しい。




最新記事

すべて表示
Decorative%2520Shape_edited_edited.png
bottom of page